【女子サッカー選手】ミーガン・ラピノーのキャリアと社会的活動【バロンドーラーでありLGBTQ+権利擁護者でありBlack Lives Matter運動の支持者】
Embed from Getty Imagesアメリカ合衆国の女子サッカー選手であるミーガン・ラピノー(Megan Rapinoe)選手は、世界的に知られたトップアスリートの1人です。
彼女は数多くの国際大会で活躍し、優れたプレースタイルと卓越した技術で多くのファンを魅了しています。
また、彼女の社会的発言や活動にも注目が集まり、自ら同性愛者であることをカミングアウトしており、特にフェミニストやLGBTQ+の権利活動に積極的に取り組んでいることが有名です。
本記事では、ミーガン・ラピノー選手のプロフィール、実績、特徴、社会的活動や発言などを紹介し、彼女の魅力や貢献について解説していきます。
ミーガン・ラピノー選手のプロフィール【2023年3月現在】
Embed from Getty Imagesここでは、ミーガン・ラピノー選手の簡単なプロフィールを紹介します。
基本情報【国籍・身長体重・生年月日・ポジション・在籍チーム】
国籍:アメリカ合衆国
身長/体重:168㎝/60㎏
生年月日:1985年7月5日
ポジション:MF、WG
在籍チーム:OLレイン
背番号:15
ミーガン・ラピノー選手は、アメリカのカリフォルニア州シャスタ郡レディング生まれです。
兄の影響でサッカーを始め、最初は兄からサッカーを教わりました。
高校では、サッカー以外にもバスケットボールや陸上競技もプレーし、常に成績優秀だったようです。
経歴・キャリア【試合数とゴール数】
クラブチーム歴
2009年ー2010年:シカゴレッドスターズ(アメリカ)【38試合3ゴール】
2011年:インディペンデンス(アメリカ)【4試合1ゴール】
2011年:マジックジャック(アメリカ)【10試合3ゴール】
2011年:シドニーFC(オーストラリア)【2試合1ゴール】
2012年:シアトル・サウンダーズ(アメリカ)【2試合0ゴール】
2013年ー2014年:オリンピック・リヨン(フランス)【28試合8ゴール】
2015年ー2023年現在:OLレイン(アメリカ)【75試合34ゴール】
アメリカ代表歴
2003年ー2005年:アメリカU-20代表(20歳以下)【21試合9ゴール】
2006年ー2023年現在:アメリカ代表【187試合62ゴール】
大学では1年生の頃から大活躍し、アメリカ代表にも選ばれ活躍しました。
しかし、2007年から2008年にかけて前十字靭帯の怪我により、アメリカ代表でプレーできず、2007 FIFA女子ワールドカップや北京オリンピックの出場も逃しました。
大学卒業後に、シカゴレッドスターズに入団し、その後は点々とチームを変えています。
フランスのオリンピック・リヨンで活躍したあと、アメリカに戻り、OLレインに加入し大活躍しています。
クラブレベルでも活躍していますが、やはりミーガン・ラピノー選手といえば、アメリカ代表での活躍ですね。
2011年FIFAワールドカップ
日本がPK戦の末にアメリカ代表を下して優勝した2011年FIFAワールドカップにも、ミーガン・ラピノー選手は出場しています。
全6試合に出場し、1ゴール3アシストと活躍しました。
2012年ロンドンオリンピック
2012年ロンドンオリンピックで、アメリカ代表は優勝をしました。
ミーガン・ラピノー選手もアメリカ代表の金メダルに貢献しました。
決勝の日本戦でもアシストを記録し、大会を通しても3ゴール4アシストと大活躍しました。
2015年FIFAワールドカップ
2015年のアメリカ代表にもミーガン・ラピノー選手は選出され、初戦のオーストラリア戦で2ゴールをあげるなど活躍をしました。
アメリカ代表も3度目となるワールドカップ優勝をしました。
2019年FIFAワールドカップ
2019年FIFAワールドカップでは、ミーガン・ラピノー選手は6ゴール3アシストで大会得点王になり、大会の最優秀選手にも選ばれました。
また、決勝のオランダ戦のPKゴールは女子ワールドカップ決勝の最年長ゴールとなり、マンオブザマッチにも選ばれました。
ミーガン・ラピノー選手の主なタイトル・表彰【2023年3月現在まで】
Embed from Getty Imagesここでは、ミーガン・ラピノー選手の主な個人タイトルとチームタイトル・表彰を紹介します。
これらを見るだけでも、ミーガン・ラピノー選手が女子サッカー界のスーパースターであることがわかります。
日本でいえば澤穂希選手のようですね。
主な個人タイトル
- FIFA最優秀選手賞(2019年)
- 女子バロンドール(2019年)
- FIFA女子ワールドカップ最優秀選手賞(2019年)
- FIFA女子ワールドカップ得点王(2019年)
主なチームタイトル
クラブチーム
- フランス女子サッカーリーグ(2012-2013年:オリンピック・リヨン)
- クープ・ドゥ・フランス(2012-2013年:オリンピック・リヨン)
- NWSLシールド(2014年、2015年:レインFC(OLレインの前身)
アメリカ代表
- FIFA女子ワールドカップ優勝(2015年、2019年)
- オリンピック(2012年)
- FIFA女子ワールドカップ準優勝(2011年)
主な表彰
- 出身地レディングでは、2011年ワールドカップでの活躍を受けてパレードが開催され、9月10日が「ミーガン・ラピノーの日」と制定された
- 2012年には、LGBTQ+のスポーツ選手への認識を広めたとして、ロサンゼルスLGBTセンターから表彰を受けた
- 2022年には、アメリカの大統領自由勲章を受章
ミーガン・ラピノー選手の私生活や社会的活動
Embed from Getty Imagesミーガン・ラピノーは、自身が持つ影響力を最大限に活かし、社会的メッセージを発信することで、多くの人々に影響を与えています。
そのため、彼女は単なるサッカー選手ではなく、社会的アイコンとしての地位も確立しています。まさに、アスリートを超えた存在になっています。
ミーガン・ラピノー選手の私生活
ミーガン・ラピノー選手は、大学1年生のときに同性愛者であることを自覚し、2012年にLGBTファッション雑誌の「Out」で同性愛者であることをカミングアウトしました。
2015年にはシンガーソングライターのSera Cahooneとの婚約を発表しました。(2017年に結婚を保留とすることを発表)
2017年にはバスケットボール選手のスー・バードと交際していることを認め、2018年には二人でスポーツ選手のヌード写真を掲載する雑誌の表紙を同性カップルのスポーツ選手として初めて飾りました。
ミーガン・ラピノー選手の社会的活動
男女平等
ミーガン・ラピノー選手は2016年に、ほかの4人のアメリカ代表選手と共にアメリカサッカー連盟に対し、賃金格差の是正を求める訴えを起こしました。
女子の代表チームでトップクラスの選手の収入は、男子の同等レベルの選手の38%に過ぎないといいます。
この訴えは2019年に28人の選手が参加して性差別の解消を求める訴訟につながりました。
その後、サッカー連盟と選手の間で労働条件について和解しています。
LGBTQ+(性的マイノリティ)、Black Lives Matter(反黒人差別)
ミーガン・ラピノー選手は、自ら同性愛者であることを公言し、積極的にアピールしています。
SNSでも積極的にパートナーとの写真を投稿したり、パートナーの女子プロバスケットボール選手のスー・バードとヌード写真を雑誌に掲載したりしています。
2019年、FIFA女子ワールドカップで優勝し、ニューヨークでのセレモニーを行った際のスピーチでは、「私たちのチームにはピンクの髪や紫の髪、タトゥーしてる子、ドレッドヘアの子、白人、黒人、そのほかの人種の人たち、いろんな人がいます。ストレートの女の子、ゲイの女の子(gay girls)も。」と発言。
さらに、「私たちはもっと良くできる。もっと愛しあい、憎みあうのをやめましょう。しゃべってばかりいるのをやめて、もっと他人の言うことに耳を傾けましょう。これはみんなの責任だと認識しなければなりません。ここにいる人たち、いない人たち、いたくない人たち、賛同する人たち、反対する人たちー世界をより良い場所にするのは、私たちの責任です。このチームはそれを背負い、自分たちの立場と発言力を素晴らしく理解していると思います~・・・」と語りました。
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